アートと酒が交わる場所で
SAKE HUNDREDはこれまで、ファッションブランドやアーティストとのコラボレーション、映画祭や大阪万博でのスポンサー活動など、さまざまな団体や人物と協業してきました。その中でも特に多い取り組みのひとつが「アートとの連携」です。
たとえば「ART FAIR ASIA FUKUOKA(AFAF)」や「Tokyo Gendai」には、数年にわたりスポンサーとして参加しています。さらに、先日プレスリリースを発表した米国の現代アーティスト、ロメロ・ブリット氏とのコラボレーション商品も、まもなく本格的な発表を控えています。(ブリット氏との取り組みは、改めて別の記事で詳しくご紹介します)
では、なぜ私たちはこれほどまでにアートと積極的に関わるのか。
その理由を、ブランドオーナーである私の視点からお伝えします。
「なくても生きられる、でも人として必要」
まず大前提として、アートも酒も、生きるために絶対必要なものではありません。しかし、人として社会の中で豊かに生きるためには、欠かせない存在だと私たちは考えています。
私自身、若い頃はアートに苦手意識を持っていました。
学生時代、サルバドール・ダリの展示を訪れ、「アートを見れば新しい感性が芽生えるのでは」と期待しましたが、正直な感想は「おお、すごい」で止まり、それ以上の発見はありませんでした。素晴らしい作品を見ても、その作品に関するコメントが出てこない自分にがっかりし、それ以来、アートから距離を置くようになったのです。
作品との対話が生む「思考の整理」
30代になり、仕事を通じてさまざまなアーティストと関わる中で、アートに対する認識は大きく変わりました。特に大きいのが、作品を通じて「自分自身と対話できる」感覚です。
作品を眺めていると、目の前の表現以上に思考が活性化し、頭の中に散らばっていた断片的なアイデアがつながります。新しい発想が生まれたり、自分の思考の傾向を客観的に捉えられるようになります。
後に知ったのですが、この状態は脳科学でいう「デフォルト・モード・ネットワーク(DMN)」に近いそうです。集中して考え込むときではなく、ふとした瞬間に訪れる創造的思考のモード。私にとって、アートはそのスイッチになっています。
酒もまた、人生を豊かにするもの
もうひとつ、アートがもたらす大きな効用は「価値観の多様性」に気づかせてくれることです。
技術の巧拙はあっても、表現や主張に正解はなく、作品の数だけ価値があります。
「こんな見方があったのか」「こんな世界の切り取り方があるのか」という驚きに出会うたび、人間の可能性の広さを感じます。自分が日頃使っている物差しがいかに限定的かを知り、新しいものを生み出そうという意欲が湧く──この感覚は、現代において非常に貴重です。
こうした経験から、アートは確かに「なくても生きられるもの」ですが、人生をより充実させるためには不可欠だと確信するようになりました。そして、それは酒にも通じます。
飲酒の社会的課題については真摯に向き合うべきですが、一方で、お酒を介した人と人とのつながり、心が解きほぐされる時間には、かけがえのない価値があると思うのです。
SAKE HUNDREDがアートと歩む理由
アートと酒は、どちらも人生を豊かにする力を持ちながら、アプローチする領域は大きく異なります。
アートは視覚や造形を通じて感性を揺さぶりますが、味覚や香りに直接働きかけることはできません。一方で、酒は味わいや香りを通じて感覚を満たしますが、視覚的なメッセージや造形的な表現には限界があります。
SAKE HUNDREDのラベルデザインは極めてシンプルで、それ自体を「白いキャンバス」として捉え、創作の余地を残しています。だからこそ、この二つが出会うことで、互いの弱みを補い合い、強みを掛け合わせることができるのです。視覚と味覚、形と香り。異なる感覚領域が重なり合うことで、単体では到達できない豊かな体験が生まれます。
私たちがアートとのコラボレーションを積極的に進めるのは、この「感覚の掛け算」によって、お客様に提供できる価値を最大化できると信じているからです。SAKE HUNDREDはこれからも、人生を豊かに彩る体験を世界中にお届けします。