日本酒における“ラグジュアリー”の可能性
SAKE HUNDREDは、エルメスジャポン社長、エルメス本社副社長を歴任した齋藤峰明氏に2020年よりブランドアドバイザーとして参画いただきました。 世界的ラグジュアリーブランドを率いてきた齋藤氏とブランドオーナー生駒龍史と共に、私たちが目指す「ラグジュアリーブランド」の姿、そして「日本酒の可能性」を問います。
齋藤峰明氏
シーナリーインターナショナル代表、エルメスフランス本社前副社長。
パリ第一(ソルボンヌ)大学芸術学部卒業後(株)三越パリ駐在所長を経てエルメスフランス本社に入社。
1998年エルメスジャポン社長に就任。
2008年には外国人で初めてフランス本社副社長を務め、2015年に退社後、シーナリーインターナショナルを設立、代表に就任。
現在パリと東京をベースに、企業のブランド戦略のコンサルティングのほか、日本の新しいライフスタイルの創出と世界への発信の活動を行う。
ブランドとは、お客様の中にある
—そもそも“ブランド”とはどんなものか。
齋藤:ブランドとは、お客様が自分の夢を重ね合わせるものです。 様々な接点から、「共感する」「自分を代弁してくれる」という経験を重ねた結果、お客様の想いを代行する存在になる。 それが、ブランドです。
もちろん、そこには責任が伴います。 例えば、「応援したい」と思う価値観と異なる面がブランドから垣間見えると、お客様を裏切ることになる。 それはお客様にとっての「拠りどころ」を奪うことにもなるんです。
ブランドは、ブランドだけのものではない。お客さんの中にあるひとつの財産なんです。
生駒:私たちは、無形の価値に対する約束・信頼と捉えていきました。 「その商品は良いものである」「最上の体験ができる」と、認めてもらうために、 お客様の期待を常に超えられるよう、あらゆる面を磨き続けてきました。
齋藤:SAKE HUNDREDはブランドをはじめてちょうど2年ですね。 私が関わるようになったのは今年からですが、振り返ってみるとどんな時間でしたか?
生駒:お客様へ誠実に向き合うのはもちろんですが、私たち自身でいうと、「自分たちは何者か」「お客様にとっての価値とは何か」を追求し続けてきた期間だと感じています。 齋藤さんのお話にあったように「ブレない価値観を提示する」ためにには、自分たち自身の価値観を深く理解しなければなりません。 そのために「自分は何者か」を考え続けていました。
もちろんこの作業に終わりはありません。 ですが、自分たちの価値観を明確にしたことが、リブランディングへつながっていきました。
齋藤:ここからは、その価値観を、どうお客様へ伝えていくかが鍵になるフェーズですね。 語らずにすべてを理解してもらうことは容易ではありません。 ですが、語りすぎてもわざとらしくなってしまう。 たとえば「本」は、テキストの情報しかないからこそ、読み手が世界を広げられる。 それと同じで、ブランドを知ってもらうことは大事ですが、お客様が自由に想像できる余地は設けてあげたほうがいいのです。
ですから、商品自体はもちろん、パッケージやWebサイト、カスタマーサポートなど、可能な限り、その“あり方”を通して、ブランドの価値観を示す。 そして同時に、ブランド側は「言っていること」「書いてあること」を完璧にやり遂げる。 ブランドが自ら言葉にするからには、その責任は必ず果たさなければいけません。
ブランドの中でも、「ラグジュアリー」に必要なこと
—ブランドの中でも、“ラグジュアリーであること”の意味は。
齋藤:ラグジュアリーの特徴は、その出自に起因します。 ラグジュアリーは貴族社会が生んだ価値観で、貴族が有していた「余裕」や「豊かさ」を象徴するものです。 日本でいえば、一般の人が領地を争い、生きていくために作物をつくる中、貴族はかるたを楽しみ歌を詠んでいた。 究極の豊かな生活です。
その生活で使われていたものが、後に「豊かなライフスタイル」を象徴するものとなり、 ビジネスとして確立され「ラグジュアリーブランド」になっている。 エルメスも、そういった歴史の中で今の形になっています。
生駒:今のお話から整理すると、ラグジュアリーブランドも最初からステータスを持っていたわけではなく、 時間と価値観の積み重ねによって成立している。 そうした時間軸や価値の積算は必須条件になると感じています。 齋藤さんは、ラグジュアリーブランドの必須条件は何だと考えていらっしゃいますか?
齋藤:ものづくりに携わるブランドであれば、品質や商品に対するこだわりも欠かせないでしょう。 ただ、日本酒の場合はそれだけではいけない気がしています。 品質や値段が高いものは数多く存在しますから。
生駒:その課題感は、SAKE100をスタートするきっかけのひとつでもありました。 品質の高いお酒を造られている酒蔵は数多くあるにもかかわらず、価格が安い。 他方、最近では数万円台のプレミアム商品も徐々に増え、品質・価格ともコモディティ化も進んでいるように感じます。 だからこそ、SAKE HUNDREDは次のステージへの挑戦が必要なんです。
日本酒だからこそ挑むべき、ラグジュアリーの可能性
—これからのSAKE HUNDREDに必要なことは。
齋藤:日本酒ブランドが次のステージへ向かうには価値観やライフスタイルの提案が重要になっていくでしょう。 品質だけではない。 もっと夢があり、お客様が想いを重ねられるような楽しみ方をSAKE HUNDREDは伝えなければいけません。
生駒:まさに、今の日本酒は、ライフスタイルや想いを乗せられる価値を提供できていないんです。 「美味しい」以上の価値をもたらそうとすると、どうしても「このお酒の造りは……」といった情報を伝えるばかりになってしまう。
SAKE HUNDREDブランドステートメントとして『そのすべてを満ちていく。』を掲げるのは、そういった背景もあります。 言葉を尽くして美味しさを説明するのではなく、お客様に心を豊かにするための、世界観やライフスタイルという価値を提供したい。 それは、ラグジュアリーブランドにしかできないことだと感じています。
齋藤:わたしは「日本酒ならではの可能性」もあると思います。 それは「日本文化の魅力」とほぼ同義です。 西洋人はさまざまなものを芸術品へ変えることに長けていますが、日本人は自然のなかに美しさを見いだすことに長けている。 日本酒も、お米と水だけからつくられ、お米を磨き美味しさを引き出すなど、とても日本的な魅力を備えていると思います。
生駒:「日本酒ならではのラグジュアリー」が存在すると。
齋藤:そう。私はラグジュアリーという価値観自体が、変化していくのではないかと感じています。 物質性より、そこに根ざす精神性や、奥深さが注目される。 日本人建築家が世界的に評価を得ている理由も、こうした価値観を上手く表現しているからではないかと感じています。 シンプルだからこそ、奥深い。
これから必要なことは、「ラグジュアリーな日本酒」というアプローチ自体ですね。 「いいお酒をつくります」というものはいっぱいありますが、ブランドとして世界的に確立できているところはいまだ存在しません。 ですが、ここまでお話ししたように、機能ではなくラグジュアリーとして夢を乗せライフスタイルを提案できるブランドとなれれば、可能性はとても大きい。 SAKE HUNDREDの挑戦に、期待しています。